ゲラゲラとニヤニヤ

 私はゲラゲラ笑っているより、ニヤニヤ笑っている時の方が面白いものに出会えているのではないかと思う。

 昨今ゲラゲラ笑うという場面が減ってきている方も多いと思う(ご時世柄)。ゲラゲラ笑うという感覚を思い出せはしないだろうか。私がここで読者が笑うようなことを書けばいいのであろうが、あいにくそんな手腕は持ち合わせていないのでそれは不可能である。

 ゲラゲラ笑う瞬間というのは友達と喋っている時、テレビを見ている時様々思い浮かべることができると思う。

 私が言いたいのはこの瞬間、ゲラゲラ笑っている瞬間、笑う対象は自分の中で本当に1番面白いものなのかと問いかけて見てほしいということである。1番というのは面白さに段階を付けることができた場合その最上段に位置する面白さかということである。

 雰囲気で笑う。文字で見ると特段面白いということもない、ただなんとなく雰囲気で笑っている。面白い風なのである。

 ゲラゲラ笑っている時、こんな感覚に陥ることがある。昨今のテレビ業界もそうで、ゴールデン帯の家族向けの番組で特に攻めた面白いことを言っていたり、しているわけではないのに、周りの出演者が、編集が、視聴者を笑わせる雰囲気づくりをしているように感じる。お笑い風なのである。

 しかしそんな番組に限って母と父はよく笑う。本当に面白いと思っているのか疑問に思う。恐らく雰囲気に飲まれて笑いたくなってしまっているのであろうと私は推測するのだが、、

 

 

 方やニヤニヤ笑っている時はどうだろうか。漫画を読んでいる時、アニメ、映画を見ている時でもいい。友達といる時など思い浮かべるのはいつでもいい。

 その瞬間あなたは自分が本当に面白いと思えるもの、あなたのツボにハマるものを見ているのではないだろうか。

 ゲラゲラ笑うことが、雰囲気に飲まれて笑ってしまっていることで外部から笑いの波が押し寄せるイメージだとしたら、これは雰囲気からくるものではなく、自分の内に秘めた笑い、心臓から飛び出ている笑いという感覚はしないだろうか。

 ニヤニヤ笑う時、ほとんどの場合ニヤニヤした後から、自分でニヤニヤしているとこに気づく。何が言いたいかというと、自然に笑っているのではないかということ。

 Hitoshi Matumoto presents ドキュメンタルでも散見されるが、芸人さんはニヤニヤしているのにも関わらず、サイレンがなった後、自分ではない、笑った覚えはないという顔をする、または言っている。

 

 

 ニヤニヤしている瞬間というのは心が自分の性癖に近い、なにかツボのようなものにハマっている何かがある時。それは人とは違う、自分だけの特別なもの。ニヤニヤしている時の方が、よっぽど濃密で自分の急所にピタッとはまるものを見ている時が多い。

 幸せなシーン、家族団欒のシーンにゲラゲラ笑う場面が思い浮かぶことも多いが、本当に自分が好きな面白さに出会っているのは案外、一人で布団に篭りながら読んでる漫画の中にあったりすると思う。

 思わずニヤけてしまう、そんなものを大切にしていきたい。