「ワンダー 君は太陽」を観てわかること。

   この類の映画を見る時間は人生に必要不可欠なのではないかと思えるくらい色々考えさせられました。少なくとも数ヶ月に一回は映画に触れたくなります。

 

 小学生、もしくは中学生、とにかくもっと早くこの作品に触れることができればなと思いました。

 

 小中高と僕はとにかく周りの目を気にする人で、周りからどう思われているかが全てでした。だからこそ、今まで仲の良かった人に避けられる、無視される、なんてことをされた日にはもう生きてる心地がしなくなったかのように落ち込みました。 

 

 今振り返れば、人間関係には付き物だし、ましてや当時中学生でしたし、中学の人間関係なんてものは変わって然るべきものなんですよね。

 

 この話は主人公の他に4人のそれぞれの人物の視点で描かれたシーンがあって、そのどれかに共感を覚える人が多いと思います。

 

 この話自体はオーガスト=プルマンという生まれつきトリーチャーコリンズ症候群という、顔の骨の未発達により、頬や目が垂れ下がったような見た目で生まれてきた主人公だけに焦点が当てられているかのようなタイトル、広告プロモーションなのですが、いろいろな人間関係が描かれています。

 

 僕にはそのお姉さんであるヴィアのエピソードがすごい刺さりました。

 

 昔からの友人と疎遠になり、どうやらその子は自分のことをある時期を境に嫌っているかのように思える。新学期が始まって、イメージが変わった彼女に話しかけるが、どこかよそよそしい感じでそそくさと別の女子グループのところへ行ってしまう。あたりを見渡すとみんなグループで楽しそうに話している。1人でいるのは自分だけ。。。

 

 そんな見ていて辛くなるシーンがありました。

話が進み、疎遠になった親友視点のシーンがあり、そこで彼女なりに距離を取った理由があると明かされ、また以前のように仲良く時を過ごすようになるのですが、急に距離を取られたら自分が嫌われたかのように考えてしまうのも無理はないですよね。自分は少なくともそのタイプです。

 

 とにかく「誤解」がテーマなのではないかなと思うくらい、他者との誤解の中で揺れ動く人間関係がいくつも描かれているのがこの作品です。

 

 オギーと彼が友達になれたと信じていた男の子との間にも問題が発生します。マインクラフトの画面を通じて、オギーとその子が仲直りをするシーンは感動的でした。

 

 本当の意味で親友を見つけるのはすごい苦労することなんだなと改めて実感します。

 

 いじめのシーンは構成的に短めに作られているのかな?本質はそのじゃないから見せなくてもいいような考えなのかどうなのか。